「グリーンスネーク COME ON !」ショパン猪狩
前回紹介した「レッドスネーク COME ON !」の続編。東京コミックショウの誕生、活動の中心だったキャバレー回りを回顧する。
「グリーンスネーク COME ON !」(三一書房)1992/09/30発行
朝鮮戦争の影響で、進駐軍キャンプ回りの営業が激減。代わりに、キャバレーのフロアショーが活況化してくる。当時のキャバレー業界地図、フロアショーの様子、キャバレーの遊び方、ホステス・従業員の裏話も丁寧に説明されている。キャバレーは客寄せの為にショーの企画に知恵を絞るのだが、奇抜な所で大川慶次郎の競馬予想ショーなど妙なものも紹介されていて笑える。進駐軍キャンプやキャバレーに芸人を斡旋する、芸能社*1のトラブルもなかなか絶えなかった様で、東京コミックショウは独立して自主興行を始める。
東京オリンピックが終わってお笑いブームが到来。テレビにも出演する様になる。
「テレビだからあんまりスケベなこと」はNGと言うことで
- ズボンを落としてヘソを見せるのもダメ
- 相撲ネタは「ふんどし一丁になるから、お茶の間ではイヤラシイ」
- 他のネタは「見たことがないからわからない」
持ちネタは色々あるのに、結局「一番無難」な蛇のパペット芸ばかりやらされる事になる。
中心メンバーの鯉口潤一を含め、メンバーがごっそり抜けて東京ジャンボコミックを結成。次から次に辞めて行く若いメンバー(弟子)のトラブルも絶えない。奥さんの千恵子さん(チーチャン)が入って、弟子を取るのは止め二人だけに。ネタも複雑なものはやめて3つに減らした。この形態+ヘビ芸の東京コミックショウが一番知られている訳だが。弟子やマネージャとのトラブルの部分は、内輪もめの側面もあって読んでいてすっきりしない。
おぼろげな記憶の中から・・・子供の頃、東京コミックショウをテレビで観て「この人達、観る度にメンバーが違っていて実体が良く分からん」と思った様な気がする。「東京ジャンボコミック」や妹の猪狩定子がいた頃の東京コミックショウの写真に見覚えがある様な、単なる記憶の捏造の様な。ゼンジー北京とごっちゃになっていた時もあった*2しな〜
今まで知らなかったのだが、
- 「ママとあそぼう!ピンポンパン」の坂本新兵
東京コミックショウ結成直前に一緒にやっていた。パン猪狩の弟子 - 兄のパン猪狩
日劇ミュージックホールでトニー谷が座長を張っていた時の副座長 - 綾小路きみまろ(公麿)
キャバレー出身で、当時はキャバレーの舞台裏を題材にした漫談 - 大木凡人
キャバレー「銀座ハリウッド」のショーの司会者 - 泉ピン子
牧伸二の弟子。猪狩定子の歌謡漫談に憧れてギター漫談をやっていた。
*1:芸能プロダクション
*2:id:deadman2:20051126:chopinikari を読んで思い出した