そこは右じゃない 後編

外苑西通り

ワタリウム美術館に行こう、と何度か思い立った事があるのだが、脳内地図の通りに歩いて行くと、必ず道に迷ってしまって結局一度も行けた試しがない。でもブラジル料理のCopa Tokyoに行った時に限って、何故かワタリウム美術館を見かける。今回、Copa Tokyoに行く人の気持ちになって地図を色々探してみる。南青山三丁目の交差点を、南東じゃなくて北西に曲がる。やっと分かった。脳内地図の逆だ。

外苑西通りのこっち側は「キラー通り」という変な名前。コシノジュンコが名付け親で、彼女が青山にお店を作った頃*1、この通りには何も名前が付いていなかった様だ。堺屋太一大阪万博の仕事をしていた1970年、青山墓地があるからって事で悪ノリで「Killer Street」と名付けたら本当に広まった、というのが由来らしい。

http://iitomo.sakura.ne.jp/iitomo/2000/20000921.htm

日本住宅公団の原宿団地、というのがある。人が住んでいる気配が全く無く廃墟にしか見えないが、車や自転車があるので一応人が住んでいる様だ。Copa Tokyoが見当たらない。ビルのオーナーが変わったのをきっかけに、2007/04/29で閉店していた。

ワタリウム美術館

流しの写真屋 渡辺克巳 写真展 1965-2005」をやっていたので観てみる。新宿・歌舞伎町で、娼婦やヤクザやゲイボーイなどに写真を撮らせてもらって1枚200円で買ってもらう、「流しの写真屋」というすごい生活。昭和の風俗、というのにはそれほど心を惹かれなかったものの、面白い写真もちらほら。

「光男さん 1971年」という写真がとてもいい。この吉村光男さんは極東会系松山連合会の偉い人。「江藤サン」は、後に新たに考案した風俗業「のぞき部屋」を歌舞伎町で流行させたり、その後何故か『からだにいい水・悪い水』というベストセラーを書いたり、という浮き沈みの激しい人生の江藤カズオ氏。

展示室の所々にある渡辺克巳の文章、これがまたいい。写真よりさらに味がある。

画像:Tower Record, Shibuya, Tokyo, Japan / Feb. 11 2008

*1:1966年「Colette」?